死体の花嫁
- 青央つかさ
- 2020年7月24日
- 読了時間: 4分
更新日:3月3日
薄暗い照明、静かな店内、カウンターの奥にはバーテン。店内は広いが、平日の為か客は少ない。入り口奥のテーブル席には、男が一人。藍鼠色《あいねずいろ》の襟付きシャツにデニムパンツとカジュアルな服装で、霜降《しもふり》の時期に合った枯色《かれいろ》のコートを椅子の背凭《せもたれ》れに掛け、薄手の小説を手に、長い足を組みブランデーを口に運んでいる。
ドアに付いたベルが乾いた音を鳴らし、来客を告げる。「いらっしゃ――」バーテンの低い声はその言葉を最後まで言えなかった。
現れたのは、一人の花嫁。
枯れ掛けの花冠《はなかんむり》と古ぼけたベール。手には造花だろう、青いブーケ。白いドレスもよれよれだが、スカートの真ん中から大きく開いたスリットから見える、大胆な脚は白くて綺麗だ。裾を持ち上げ、床をずるずると重そうに引き摺りながらやってきた花嫁は、男の向かいに座った。
「遅くなってごめんなさい」
異様な光景も気にせず、男は小説から視線を上げ、花嫁に向かって笑顔で答える。
「いや、大丈夫。コレで暇を潰していたから。君は、いつものでいいね」
花嫁が頷くと、小説を足元のビジネスバッグにしまい、バーテンを呼び、花嫁の為のカクテルを頼む。「マタドール」、それは花嫁の姿にはあまり似つかわしくない名称だった。だが花嫁は、間も無く出されたそれを、美味しそうに一気に飲み干した。再び同じ物を頼むと、男と向き合う。
「今日は来てくれて有難う。もしかしたら、貴方は来ないかもしれないと思っていたの」
スリットから顕になった膝の上へ上品に手を置き、ぽつりぽつりと語る。男はグラスに入ったブランデーにゆっくり口を付けながら、小さく笑った。
「まさか。僕はこう見えても堅実だ。どんな相手だろうと、約束は守るよ」
「貴方はとても優しいし、そういう誠実なところが魅力的だわ。だからこそ、恐かったの。私の為に割く時間があるのか、そもそも私に興味があるのか、私と話をしてくれるのか……」
色白の肌とは反対に、真っ赤な紅を塗られた唇が微かに震えている。視線は左右へ泳ぎ、運ばれたカクテルにも手を付けず、落ち着かない様子を見せる。一方で男は澄ました表情で花嫁の紡ぐ《つむぐ》言葉に何度か頷くだけで、相変わらずブランデーをちびちび傾けていた。
花嫁が喋るのを止めると、他の客の小さな会話と店内のクラシック音楽が耳に届く。カクテルに手を伸ばし、再び一気にグラスを空にするが、追加注文はせずに男の様子を窺う《うかがう》。男は暇を持て余したのか、ビジネスバッグから小説を取り出して相手の事などお構いなしに続きを読み始めた。二人の間に重たい空気が流れる……そこへバーテンが近付き、空いたグラスを手で指しながら「何か頼みますか」と丁寧に尋ねてきた。花嫁は暗い表情を一転させ、同じカクテルを頼む。それを切っ掛けに、男は小説を閉じ、やっとまともに花嫁と向き合った。
「そのドレスは、今日の為に?」
話し掛けられた事と、ドレスに触れられた事が嬉しかったのか、花嫁は笑顔で頷いた。
「えぇ、“死体の花嫁”って映画は知ってる?」
「どこかで見た事ある衣装だと思ったら、その映画か。あの監督の作品は好きだから、しっかりチェックしてるよ」
「良かった。私、あの映画にとても感動して……感動とは違うわね、なんて言ったらいいのか分からないけど、観終わった後、充実感と、寂しい気持ちとが重なって、涙が止まらなかったの」
「面白い感想だね。僕もあの映画は素敵だと思ったよ」
カクテルが運ばれるが、今度は一気に飲み干さず、一口二口飲んで、静かに呟く。
「感想はそれだけ?」
男の反応を見ないように俯きながら、花嫁は質問を飛ばす。しかしその質問に対して男は先程の花嫁の言葉に応えるように呟く。
「そうだな、君がそこまでご執心なのは驚きだけど、僕は君に対して思う所は色々あるよ。でも僕は先も言った通り、どんな相手でも約束は守るし、女性に対しては真摯《しんし》になりたいと思っている。だから、君の心配は僕には届かないんだ。そこは謝るよ」
男の言葉に花嫁は少し泣きそうになりながらも、小さく「ありがとう」と告げる。
「私も、あの花嫁のようになりたい。美しくありたい、そして、幸せになりたい。幸せの形はどんなものでもいいの。私が幸せだと思えたなら、それで……」
死体の花嫁の美しさとは、望む幸せとは……自分がどんな形であれ幸せと思うのならと、花嫁は語気を強めて男を熱く見つめた。
その時、男の手が花嫁の肩へ伸び、そっと引き寄せ耳元に唇を近付けた。店内の静かな音に掻き消されそうな程小さな声で、何かを囁くと、花嫁の唇が横にすぅっと伸び、瞳も緩やかに細まり、艶やか《あでやか》な表情へと変化した。男は小説をバッグに入れ、背凭れのコートを羽織るとバーテンの元へ行き会計を済ませる。花嫁は三杯目のカクテルを空にすると、ゆっくり椅子から立ち上がり、男の腕に腕を絡め、艶やかな表情を浮かべたまま、ずるずるとドレスを引き摺りながら二人で店内を後にした。
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