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残虐な愛

 私の愛はどこに存在しているのだろう。


 週に一度、私はとある場所へ向かう。いつもの時間、いつもの道、いつもの扉、その先にいるのは、私が愛して止まない男。

 友人に言われた事がある。その男はただのクズだ、一緒にいたいと言うなら応援はするが、早く別れるに越した事はないと。

 玄関のチャイムを押すと、男が顔を出し私を部屋の中へと入れる。私は直ぐに着ている服を脱ぎ捨てて、ベッドで早々に横になっている男の上に跨る。その行為自体は簡潔《かんけつ》なものだが、私は何度も絶頂を迎えて男の名前を叫び、愛してると言葉を吐き捨てるのだ。愛してる、愛してる、愛してる、何度も男へ向けるのだが、男はそれに軽いキスだけで応える。行為が終わればすぐにシャワーを浴びて、また来週と約束を交わして男の元から去る。本当にそれだけの関係。

 最初はただのナンパだった。一人で飲んでいた私に声を掛けてきた男との会話が弾み、連絡先を交換してから、度々《たびたび》一緒に飲みに行くだけのそんな関係だった。いつからか、男の視線は熱いモノとなり、また私も男からの欲を受け入れたいと思ってしまった。それが過《あやま》ちの始まり。遊び慣れていない私と違って、男は女の扱いをよく分かっていた。だからこそ私は惚れたのだし、誘いにも乗ってしまったのだ。軽いキスから始まり、手を繋《つな》ぎ夜の街を歩き、最終的には互いの知らないところは無いくらいまで関係は発展していった。最初は女としての悦《よろこ》びを教えてくれ、私の体は男の手によってどんどん開発されていくのだが、いつしか行為はどんどん単調になっていき、私は男にとってただの都合のいい女となっていった。

 それでも私は男を愛した。どんなに邪険《じゃけん》にされようが、怒鳴《どな》られようが、泣かされようが、私は男に追い縋《すが》っている。都合のいい時に都合よく抱ける、都合のいい女。それでもいいと思えてしまうのは、私が心から愛してしまったせい。例えこの関係が不毛と言われようと、愛してしまったなら突き進むしか選択肢は無い。常に笑顔を心掛け、男を刺激しないように、地雷を踏まない会話を捻《ひね》り出す。

 しかし私にもプライドはある。何度も別れよう、何度も終わりにしよう、そう思いながらいつもの道を歩いてきた。だが男の顔を見た瞬間にどうしようもないモノが込み上げて、私の心は涙を流す。抱かれていたい、腕の中にいたい、これが最後と思いながら、最終的には男の背中にしがみ付いている。たまに囁《ささや》かれる甘い言葉に惑《まど》わされ、まどろみの中へ堕《お》ちていく。


「なんでそんな男に縋《すが》るのか、意味が分からない。もっと他に優しくていい男いっぱいいるでしょう」

 辛辣《しんらつ》な言葉で攻撃してくるのは、私の友人。彼女は私と男との関係を知っていて、辛く当たられた時や蔑《さげす》まされた時に私を慰《なぐさ》めてくれる一方、早く別れてしまえと毎回言ってくる。

「でも、好きなものは好きなんだよ」

 毎回、友人には甘えさせてもらっている。弱気になった時はいつでも話を聞いてもらっているから。今日も一緒にカフェでのんびりと話しながら、男との日常をぼやいている。

「どこがいいのさ、優しくもないし、毒吐いてくるし、性格が最悪じゃん」

「いや、そうなんだけどね……」

 正論を言われてしまえば、ぐうの音も出ない。

「顔だけの男じゃん。顔はね、確かにいいと思うけど、本当にそれだけ。自分勝手でいつも泣かされて、それでもいいなら関係を続けていけばいいかもしれないけど、私は応援したくない」

 友人なりの優しさなのだと思うが、恋は盲目《もうもく》とはよく言ったもので、私にはその心配する言葉がどこにも響《ひび》かない。

「関係は続けていきたいよ。もう五年も一緒にいるし」

「五年間ずっと週に一回セックスするだけの関係でしょ」

「そんなにハッキリ言わないでよ……」

「誕生日プレゼントだって、あげた物使ってくれたの見た事ある? 無いでしょ? それが答えだよ」

 この言葉は心に来た。確かに、私は毎年男の誕生日が近くなると、何かしらのプレゼントをしているのだが、それを使っているところは見た事が無いし、食べ物であれば私のいる目の前で他人に分け与えているのを見ていた。私のセンスがダメだったのだろうか、嫌いな物だったのだろうか、それとも、単純に迷惑なのだろうか、それも分からず只々毎年プレゼントを贈《おく》っている。何が欲しいか聞いても気にしなくていいと言われるだけで、プレゼントを渡している事がそもそも私のエゴなのではないかと思えてくる。

「あんたはさ、そいつとどうなりたいの? 結婚したいわけ?」

「……結婚は考えてない、ずっと一緒にいる事はできないと思うから、結婚したら一緒に暮らす事になるでしょう? そしたら、お互いにストレスが掛かって、相手が爆発するだけだと思う」

「ほら、やっぱり都合のいい女じゃん。そいつだって結婚願望無いだろうし、ちょっといい女がいるから遊んでおこうってだけなんだよ」

 都合のいい女。本当にそうなんだろう。誰から見たって、自分で自分を客観視したとしても、同じ答えが出てくる。男から見て私の見た目が少し良かっただけ、遊んでみたら相性が良かっただけ、情で何年も一緒にいるだけ。私から終わりの合図を出してしまえば、何事も無かったかのように関係は切れて、男はまたいつもの生活を続けるのだろう。

「そもそも、そいつと何話してるの? 会話とかあるの?」

「テレビ観ながら、たまに会話するよ」

「テレビが無かったら何も話せないの? やっぱりキモイ」

「キモイとか言わないでよ」

 そう、私と男の間に会話らしい会話など一切無い。テレビを観ながら内容についてあーだこーだ言ってるだけで、親しい会話も囁《ささや》く愛も皆無《かいむ》だ。たまに途切れない会話があるとしたら、男が興味を持った話題だけ。興味があればいつもの無口が嘘のようにペラペラと喋《しゃべ》りだす。私はそれを頷《うなず》いて聞いてるだけ。

「でも、好きだから」

「はいはい、もう分かった。これからもそいつに下に見られて虐《しいた》げられて過ごせばいいよ」

 過去に、男に殴られそうになった事があった。その時は泣きながら家を飛び出して友人に連絡したのだが、もうそいつは切れ、振れ、と忠告してくれた友人に、私も悪い事をしたから仕方ないと泣きながらも関係を続けたい意思を告げた時、友人は「お前から謝ったら、一生立場が下になるけど、それでもいいの」と問うた。私はそれでもいい、一緒にいたいと頷《うなず》き、男に謝罪の連絡をした。もうその時から私は男の言いなりだし、何を言っても反論され、自分の想いすら言えなくなった。だからこそ友人は私を心配しているし、同時に男が嫌悪《けんお》の対象になっているのだ。

「ハッキリ言ってね、私は私の友達を傷付けるそいつが大嫌い。でも、あんたがそれでもいいって言うなら、私はもう何も言わない」

 そう言ってグラスに入っている珈琲をぐっと飲み干すと、友人は席を立ち憐《あわ》れむ目で私を見つめ帰っていった。残された私はまだ残っている飲み物を見つめて何が正しいのか悪いのか、結局分からないまま暫《しばら》くぼうっとしていた。


 今日は男に会いに行く日だ。シャワーを浴びて、化粧をして、可愛い服に着替えて、準備万端《じゅんびばんたん》の状態《じょうたい》で家を出る。車でいつもの道を走り、いつもの音楽を聞き流す。そろそろ家が近い。駐車場に車を停めた後は少しだけ歩く。そうすれば、男のアパートに着く。チャイムを鳴らすと、眠そうな、だるそうな男が顔を出して、私を中へ入れる。

 いつもと違ったのは、男はテレビを付けたままベッドに座り、煙草を吸いだした事。私はその隣に座り、男が煙草を吸うのをじっと見つめていた。

「煙草、吸っていいよ。これ灰皿」

「あ、ありがとうございます」

 急に掛けられた言葉に、慌てて鞄《かばん》から自分の煙草を取り出し、火を点ける。そうしてぼんやりとテレビを観ながら煙草を吸っていると、男が口を開く。

「ドライブにでも行くか」

 急な展開に付いて行けず、私はその男の目的も何も分からず、だが素直に頷《うなず》いた。

 ドライブと言って男のバイクの後ろに跨《またが》ると、目的地でも決まっているのか、直ぐにエンジンを掛け発車する。どこに行くのかも聞いていないし、何をするかも分からない。しかし男はそんな私の心境《しんきょう》を無視するようにバイクを走らせていく。そういえば、こうやって二人乗りするのも初めてかもしれない。襟元《えりもと》に鼻を近づけると男の匂いがして、少しいい気分になれたが、信号で停まるとヘルメットとヘルメットが当たって行為の邪魔《じゃま》をされられた。

 長い事走った先には、なんて事のない、ただの定食屋があった。バイクを降りる男は躊躇《ためらい》いなく扉を開けて中に入り、私もその後を追う。

「何食べる?」

 差し出されたメニューを見ると定番の商品の文字や写真が並んでいる。別にお腹いっぱい食べたい訳でもなかったが、親子丼の文字を指でさした。男もメニューをざっと見てから店員を呼び出し、私の親子丼と、エビフライ定食、更にはかつ丼まで頼んでいた。

「結構食べるんですね」

「んー、大食らいだからね、これでも」

 普段から鍛《きた》えている体に似つかわしい体形をしているが、標準男性よりも腰が細く綺麗《きれい》な線を描《えが》くそれからは考えられない量を食べるようだ。

 注文した品が届くと、男と私はいただきますの挨拶《あいさつ》をして食べ始める。

「エビフライ美味しいぞ、一口食べてみな」

 言われるままにエビフライを一口齧《かじ》ると、美味しいです、ありがとうございます、と呟《つぶや》き自分の親子丼を頬張《ほおば》る。食事中も無駄な会話は無く、ただ向かい合って食べているだけ。それでもどうしてだろう、いつもより心が高まっているのは。きっと、男の部屋いから出て、二人で普通の事をしているその単純な行動が嬉しいのだ。まるで、出会ったばかりの二人のような、そんな気分がして仕方ないのだ。

 出会ったばかりの頃、何度か食事をした。どちらかと言うと寡黙《かもく》な男に対して、私が一方的に話していたと思うが、それは間違いなく恋人一歩手前のような関係で、男も少しはその気があったのではなかったのだろうか。私が話しかけると、男は笑顔で頷《うなず》き、時には真剣な表情で色々な事を語ってくれた。その中には私への批判も多少あったが、恋に浮かれていた私は軽く受け流してしまっていた。どこからだろう、歯車が狂いはじめたのは。あの頃と変わらず私は好きなのに、愛しているのに、男からの愛情は感じられない。それどころか、何度も傷付けられては別れを決意し、その度にやはりこの男でなければ駄目《だめ》なのだと涙を流す日々。何故好きなのか分からない、何故こんなにも愛しているのか分からない、ただ男との行為が好きなのかと言われたらそれも違うと思う。私は男との時間を共有したいのだ、出会ったばかりの時のように、話して、笑って、愛を確かめたいだけなのだ。

 食事が済むと伝票を持って会計をする、ごちそうさまでした、と感謝を述《の》べてまたバイクに跨《またが》る。家に着くと男は私の服を脱がし、キスをする。今日はたまたま機嫌が良かったのだろうか、何か男の中で変化があったのだろうか、私は何も分からず、何も聞かず、行為を受け入れる。

 何度愛し合っても男の感情は読み取れない。私が何度絶頂を迎えても男は済ました顔で更に私を追い詰める。

「ねぇ、愛してます、愛しているんです」

「分かってる」

 ついばむようなキスをされ、また誤魔化《ごまか》されてしまう。いくら本心を伝えようとも、その心には届かない。こんなに愛しているのに、今にも心が張り裂《さ》けそうな程愛しているのに、何故男は私を見てくれないのだろう、何故応えてくれないのだろう。モヤモヤを抱えならも私は男の背中を強く抱き締め諦《あきら》めずに愛を囁《ささや》く。いつか、いつでもいい、もう一度私の体以外に興味を持ってくれる日が来るのなら、私はなんだって差し出そう。すべてを犠牲《ぎせい》にしてでもこの男に尽くそう。だからお願いします、どうか私を愛して下さい。もう一度だけ愛して下さい。

 シャワーを浴びた後、脱ぎ散らかされた服をかき集めそれを着る。ベッドの端《はし》に座って煙草を吸う男の隣に座って、無言で自分の煙草を取り出して吸い始める。

「あそこの定食屋、美味しかったな」

 なんともないように、男は告げる。

「そうですね、親子丼も美味しかったですし。でも本当にあの量食べきるとは思いませんでした」

「食べようと思えば、まだ食べられたけどな」

「それは、凄いですね」

 まるで何も無かったかのような会話。今日は食事に行った、それだけだったかのような。あの熱い交わりなど無いように私たちは会話を紡《つむ》ぐ。

「次も、飯食べに行くか?」

 本当に今日はどうしたのだろう。私には意図が分からない。しかし、男と一緒にいられる時間が増えるならそれに越した事はない。

「はい、そうします」

「次はどこ行きたい?」

「……お寿司とか好きです」

「そういえば、前に海鮮好きだった言ってたもんな」

 来週、また、一緒に。それだけで私の心は舞い上がる。いつもはシャワーを浴びて帰るだけなのに、今日は煙草を吸いながら来週の予定を立てている。この時間すらも愛《いと》おしい。

「じゃあ、また来週、同じ時間でいいですか?」

 煙草を吸い終わり立ち上がると、男は頷《うなず》いて片手をひらりと振る。さよならの合図、今日はなんだかとても名残惜《なごりお》しい。が、私は男の部屋を出て、帰路《きろ》に着くのだ。


 それから毎週、私は男に連れられ、色々な店に行った、お寿司屋にも行ったし、ラーメン屋、ファミレス、高くはないけどそれでも一緒に食べて過ごす時間が幸せだった。少しずつだが、食べている最中の会話も増えた。先週は何をした、今週はこれをする予定だ。男の毎日のルーティーンは変わらずで、大体する事と言えば仕事とトレーニングなのだが、私はそれをニコニコしながら聞いている。私も先週は何をしました、どこへ行きましたなど会話を広げながら食事を楽しんでいた。

 毎回、食事が終わり帰ると男と交わり、終わった後は煙草を吸いながら今日の食事について語り合うのも日常になった。あの頃に戻れたような気がしてますます好きになる私だが、男が私をどう思っているかは未だに分からない。何度も愛を囁《ささや》くのだが、キスだけしか返ってこないのをみると、もう男からの感情は私へ向けられていないのかもしれない。それでも私はこの関係を続けたくて、一生懸命《いっしょうけんめい》部屋へ通う。意地もあったのかもしれない。どうすれば振り向いてもらえるのか、どうすればあの頃に戻れるのか、そもそも、最初から男は私を愛していなかったのかもしれない、体の相性がいいからこうやって一緒にいるだけなのかもしれない。しかしそれは全部どうでもいい事だ。男が私と一緒に過ごしてくれる時間、男との時間を私が独《ひと》り占《じ》めしているこの瞬間が堪《たま》らなく好きだから。


「それでね、この前はお蕎麦屋さんに行ったんだけど、そのお蕎麦がまた美味しくてね」

「そんな食レポ聞かせるために、わざわざ呼び出したわけじゃないよね」

 久し振りに友人に連絡を取り、時間を作ってもらい、カフェでティーセットを頼みウキウキで話す私に、冷たい言葉を投げかける。

「いや、違うけど……どう思うかなって。意見を聞きたくて。ただするだけの関係から、また昔に戻ったような気がして嬉しいんだけど、本意が全然分からないんだよね」

「ただの気紛《きまぐ》れでしょ。散々泣かせた相手のご機嫌《きげん》取りを今更しようとでも思ったのかもしれないし」

 私の不安とは反対に、友人は珈琲を飲みながら淡々《たんたん》と告げる。

「最近は泣かされてないもん」

「いい歳した女が、もん、なんて使わないでよ気色悪い。それに、今泣かされてなくても、またどこかで地雷踏んで、そいつに泣かされる羽目《はめ》になるんだから。食事だってそうだよ、一緒の時間が増えたからって、そいつの態度が変わったわけでもないし、どこか重箱《じゅうばこ》の隅《すみ》を突《つつ》くような訳の分からない事で爆発するかもしれないよ」

 それには何も反応できなかった。確かに、最近は男との関係は穏《おだ》やかなものだ。しかし、またどこで痛めつけられるかは分からない。

「ねぇ、この関係ってなんて呼べばいいのかな」

 私の問いに、友人はため息を吐《は》いて、やれやれといったように首を横に振る。

「食事付きのセフレ」

 痛い言葉を、なんの躊躇《ためら》いもなく突き刺してくる友人だ。

「それだけなのかな、もう愛情って貰えないのかな」

「例えば、そいつがあんたの事ちゃんと好きなら、もっと別な事をする。ていうか何、その前は愛し合っていましたみたいな言葉。ナンパしてくる男にまず碌《ろく》な奴なんていないし、そこから本気になったとしたら、優しく扱《あつか》われて当然でしょ。毎度毎度泣かしてくる男があんたの事好きなわけないじゃん」

 友人だからこその直球な答え。私はまだスタートラインにすら立っていなかったのだろうか。お互いが好きだという感情を持って生まれた関係だと思っていたからこそ、私は男を愛し続けたし、また愛されたいと願っていたのに。

「ねぇ、本当にそいつの事好きなの? セックスが好きなだけじゃないの? 情があるだけじゃないの?」

 真剣な顔で友人は問いかけてくる。

「……好き。愛してる。今の私には必要なの」

 深い深いため息を吐《は》くと、友人は鞄《かばん》を持って席を立つ。今日はあんたの奢《おご》りね、という言葉を挨拶《あいさつ》にカフェから出て行った。

 本当の所、自分でもよく分からなくなってきてはいた。ただの都合のいい相手で、情があるから関係を捨てられないだけなのか、それとも、私が発言した、男を必要だという言葉が正解なのか。何もかもが分からなくて、私はその場から立ち上がれずに紅茶に浮かぶレモンを眺《なが》めていた。


 男の部屋へ向かう、チャイムを押す、男が招き入れてくれる、今日はここに行こうと提案《ていあん》してくれる、男のバイクで店へ向かい食事を摂《と》る。ここまではいつも通りの流れ。それから私たちはキスを交わし、お互いの体を弄《まさぐ》り合う。キスをしてるだけなのに、心がとろりと溶ける感覚がする。もっと口付けを交わしたくて男の頭をぎゅっと自身へ押し付けると、それに応えるように舌で口内をくすぐられる。私だけの、私だけの、私だけの……何度も心の中で繰《く》り返し、自分の欲を高めていく。今は、私だけ……この男の時間を独占《どくせん》しているのは、この私。もしかしたら、別な曜日の女がいるのかもしれない、もしかしたら、本命の女がいるかもしれない。雑念《ざつねん》が私の頭の中を駆《か》け巡《めぐ》っているが、今だけは私のモノなのだと言い聞かせ、ベッドへ横たわる。

「あぁ、愛してます……本当に、本当に愛してるんです……」

 言葉にはキスが返ってくる。これもいつもの事なのに、何故だろう、今日は虚《むな》しくて仕方がない。この前の友人との会話のせいだろうか、私は自分の心の整理が付かないままここに通っている。もし、私たちは付き合っていますよね? 恋人ですよね? そんな言葉を男に投げつけたら、一体どんな回答が待っているのだろう。違うと否定されたら? 体だけが目当てだと言われたら? そう考えるだけで涙が溢《あふ》れてくる。こんな時に何を考えているのだろう、私の涙を快感の涙と捉《とら》えたのか、男は私の弱い部分を責めてきた。

「泣くほど気持ちいい?」

 違う、違うの。そう思っていても正直な言葉は投げかけられない。私は首を縦に振って答える。

「はい、気持ちいいです、凄く、凄く」

 男の目的なんて知らない、何をしたくて私と一緒にいるかなんて知らない。今どんな感情で私を抱いているのかすら分からない。だけど、頭の中で考えるよりも、それこそ快感が襲《おそ》ってきて、私の思考を吹き飛ばしてくる。体は正直だとはよく言ったものだ。難しい事なんて考えられないくらい、私の体は悦《よろこ》んでいる。もうそれでいい、それだけでいい、今はこの快感に身を委《ゆだ》ねてしまえばいい。そうすれば私は幸せになれるのだから……

 汗ばむ体を密着《みっちゃく》させ、男の腰に足を絡める。男は一層《いっそう》奥を突き、私の中へ欲望を吐き出す。お互いに荒い息を吐きながらベッドに横になると、私は男の唇に軽いキスをしてシャワーを浴びにいく。

 温《ぬる》いシャワーで体を洗っていると、また雑念《ざつねん》が私を襲《おそ》ってきた。それを振り払うかのように頭からシャワーを浴びて、浴室から出る。男はいつものようにベッドの端《はし》に座り煙草を吸っている。私はドライヤーを借り頭を乾かしてから、隣に座って煙草に火を点けた。

「あの、知ってると思うけど、好きなんです。愛しています」

 ちょっとした勢《いきお》いだった。あまりにもぐるぐると頭の中を巡《めぐ》っているものだから、つい口に出してしまった。しかし男は当たり前のように頷《うなず》き、軽いキスをしてきた。

「知ってる」

 返ってきたのはそれだけ。男は私をどう思っているのか、それはやはり分からずじまいだ。私の一方通行の愛は、このまま永遠に一方通行なのだろう。男は私を愛していないし、私も愛されている実感はない。だがこれだけは言いたい。

「これからも、こうやって、一緒に過ごしてくれますか」

 ただの願望だが、切実なものだった。

「一緒にいてあげる」

 上から目線と言われてしまえばそうなのだが、この言葉に私は頬《ほほ》を赤らめ俯《うつむ》き、男の肩に頭を乗せた。

「愛してるんです。愛しています」

 重い重い愛の言葉を告げ、煙草の火を消すと私は立ち上がり、また来週と言葉を告げて部屋を出た。帰路《きろ》に着く車の中で、男の言葉を何度も反芻《はんすう》し、私はまた涙を流した。愛してはもらえない、男が私を愛してくれる事は決してないだろう。私も体の相性なのか、情なのか、本当に愛情なのか、自分でもまだ分からないでいる。しかし、一緒にはいてくれる。まだこの関係を続ける事ができる。男は言ってくれたのだ、一緒にいてあげると、そう言ってくれたのだ。まだ、少しの間かもしれない、ずっとかもしれない、どのくらいの期間を一緒に過ごしてくれるかなんて未知の世界だけど、私の生き甲斐《がい》はこれで決まった。

 自宅に着いてから、ベッドへ横になると、私は声を荒《あら》げて泣いた。なんの涙なのか、どんな感情から来るものなのか分からないが、只々、私は大声を出して涙を流し続けた。


 愛しています。貴方を、貴方だけを。私の愛は、一体どこに存在しているのだろう。



END

 
 
 

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