別れ人
- 青央つかさ
- 2020年8月11日
- 読了時間: 6分
更新日:2020年8月14日
愛してる、貴方無しでは生きていけない。そう教え込んだのは貴方でしょう? 何故私を愛してくれないの?
馴染みのバーで話し掛けられたのが切っ掛けだった。カウンターの隣で軽い自己紹介と趣味の話で盛り上がった私たちは、初めて会ったにも関わらず連絡先を交換した。
最初は連絡を取るのに躊躇いを覚えたけれど、いざ「こんばんは、また今度一緒に飲みましょう」の簡単な言葉に、貴方は「いつにしましょうか?」と、私たちの関係に今後がある事を教えてくれた。
何回かバーに通うにつれて、距離が縮んでいくのが分かった。貴方は私なら彼女にしてもいいな、と軽口をたたき、私はそれを聞いて愛想笑いを浮かべる。その言葉を本気にしていいのかどうか、迷っていた。でもある日、私もそれなりにお酒を飲んで久し振りにいい気分になれたなと思いながら飲み進めていると、また貴方はいつもの言葉を紡ぐ。
「お前なら、彼女にしてもいいな」
「それ、本当? じゃあ、私の事彼女にして」
酔っていた勢いもあったし、そこまで言うなら本当に彼女にしてくれるのだろうか、そう思って満面の笑みを浮かべて答えてみた。
意外と貴方の反応は良く、言葉には出さなかったものの、優しく頬に口付けてくれた。これは、きっとそういう事なのだろう。
お会計をして、その足でホテルへ行った。シャワーを浴びて事に及ぼうとした時に、彼がゴムをしないで抱こうとした事に、私は抗議した。しかし彼は口八丁手八丁で言いくるめ、彼を好きだった私もそのままそれを許してしまった。その時からおかしいな、なんて思っていたけれど、彼に抱かれている時は幸せを感じたし、彼も私を大事にしてくれたから、うやむやにしてしまった。
それから、私たちの関係が始まった。週に一度バーで飲み、帰りにホテルへ行く。相変わらずゴムを付けない情事に不安を感じた私はピルを処方してもらい、自分で自分を守ればそれでいいと軽い気持ちで服薬し彼に抱かれ続けた。
そんな関係も、突然終わりを迎えそうになった時がある。ただの喧嘩だったのだが、彼は随分ご立腹だったようで、私が仲直りしよう、恋人としてこれからも一緒にいようという言葉に、「お前と付き合ってるつもりはない」と言い放った。とてもショックを隠し切れなくて、涙を堪えるのに必死になった。じゃあ、今までの関係はなんだったのか、あの時のキスはなんだったのか、もう私たちは終わりなのだと、バーを出ようとしたのに、彼は私と一緒に店を出て、有ろう事かホテルに誘ってきた。
訳が分からなかった。付き合っているつもりはないと言っておきながら、ホテルに誘うという行為は、完全に私を下に見ているとしか思えない。
「さっきはごめんな、これからも仲良くしよう」
セフレなのだろうか、それとも都合のいい女なのだろうか、どちらも一緒か……でも、それでいいのかもしれない、喧嘩の原因は私だったし、彼は私の為に怒ってくれたんだ。 もう、この頃には私の頭は麻痺していたのだろう。
「今日はしたい事してあげるから、して欲しい事、言って」
裸になり耳元で囁かれれば、先程の喧嘩なんてどうでもよくなった。彼に優しく抱かれるだけで体は熱く火照り、それしか考えられなくなる。いつもより性急な愛撫に何度も達してしまい、やっぱり、私にはこの人しかいないのだと脳に刻まれる。
それからは、彼を怒らせないようにするのが一番大切な事だった。どんな理不尽な言葉にも耐えたし、笑って頷いてみせた。それでも何度か彼を怒らせてしまう事があって、その度に私は謝罪の言葉を紡ぎ、彼は満足したように私を抱いた。
それでも彼の怒りが収まらない時は、軽く手を上げられた。その時はさすがの私も別れを覚悟したのだけれど、やっぱり彼から離れられなくて、私から「ごめんなさい、一緒にいさせて下さい」と懇願した。
この頃には、彼無しで生きてはいけなくなっていた。今日は大丈夫、私は怒らせてない、ちゃんとやってる、そう自分に言い聞かせて彼の機嫌を取り、バーを出ればホテルへ行く。
初めの内は私との時間を最優先してくれた彼も、最近では一旦その日の疲れを取るかのように布団に横になり、私の存在を無かったかのように振る舞う。ある程度寝た後、思い出したかのように抱く。機嫌の悪い時や、忙しい時はそのまま寝るだけで帰る時もあった。セックスの回数も付き合った当初より減ったし、セックス自体も愛撫がおざなりになってきて、不満が無いと言えば嘘になるが、私は抱かれるだけでいい、この人の愛は私だけが貰えている、そんな考えだけで生きていた。
「もう、いいんじゃないかな」
「え? 何が?」
「この関係、もう終わらせてもいいんじゃないかな」
突然の死刑宣告だった。喧嘩した時でさえ堪えていた涙が、ぶわっと溢れた。もう私がいらない存在なんだと思うと涙が止まらなくて、私はバーを飛び出した。もうどうなってもいいや、最初から愛が無い事は気付いていた。だからこれでいいのだ、そう自分に言い聞かせて街中を歩いていると、なんと彼は私を追ってきて、手を掴んできた。
「待ってくれ。一緒に帰ろう」
「……別れようと言ったのは貴方でしょう? なんで優しくするの? もう意味が分からないよ!」
彼が何をしたいのか分からず、人の往来があるというのに私はその場で泣き崩れてしまった。
「悪かった、やっぱり別れられない。もう別れるなんて言わないから、一緒にいてくれないか」
そんな言葉で私を言いくるめられると思ったのだろうか、いや、思っているのだ。現に私は彼の言葉に今度は嬉し涙を流し抱きついていたから。
「お願い、捨てないで。私、貴方しかいないの」
彼も私をぎゅっと抱き締め、髪を優しく撫でると、泣き続ける私の手を引いていつものホテルへと向かった。
一度でも隣にいる事を許されてしまったら、もう離れられる気がしない。こんな彼を好きな私はなんて哀れなのだろう。
それからも彼との関係は続いた。雑になっていくセックス、そして私への態度、すべてが嫌になる事もあったけれど、もうどうしようも無かった。抱かれている時だけは愛を感じたし、愛されてるとそう信じたかった。
抱かれるだけでいい、愛の言葉なんていらない、貴方が私の傍にいられればそれだけで満足なの。
初めてなの、焦がれる程に愛している人と付き合えた事が、抱かれる良さを知った事が、激しい愛情をぶつけ合う相手が出来た事が。
だからお願い、私を傍において、キスをして、抱き締めて、もうすべてが貴方でなければいけないの。私を構築するすべてが貴方で出来てしまったの。私を遠ざけないで、冷たくしないで、優しくして、怒らないで、愛してると言って、私だけを見て……
どんなに追い縋っても貴方は私を本気で愛してはくれない、私がどんなに愛してるかを伝えても無駄な話、貴方無しでは生きていけない、けれど、貴方は私がいなくても平気なのよね。分かっているけれど、それでも愛する私を、どうぞ笑って下さい。
END
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