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深秋の嘆き

 私には、逃げる勇気もやり遂げる勇気も無い。何も足りないのだ。


 舞台女優を目指し家を飛び出し、西へ西へと流れ着き、今では立派なソープ嬢だ。客の相手をして、部屋を掃除し、次の客が来るまでのほんの僅かな時間、換気用の小窓から夜に包まれた街を眺めながら、煙草を燻らせる。

 初めて舞台に立てたのは、18の時。しかしそこから芽は出ずに、同期や後輩が次々と舞台に立す姿に嫌気が差して、20になる頃にはその道を諦めてしまった。そこからは分かりやすいくらに転げ落ちて行った。故郷が惜しくないのかと問われたら、そうだと断言も出来ない。私には舞台で活躍していた先輩がいた。遅くまで稽古に付き合ってくれて、セリフ合わせも楽しくて、面白くて、辛い時はずっと傍にいてくれて……先輩を想うと、涙が滲んでくるくらいには、多分、好きだった。誰にも何も言わず、舞台稽古もすべて投げ捨てたのに、先輩にだけは、何か残してくるべきだったんじゃないかと、今なら思う。

 どうして私が? と思う時もあれば、今の私が完璧だと誇れる時もある。このたった十数分の待ち時間の間にも、私の心はゆらゆらと揺れる。自分を保っているのが精一杯なのだ。何をやるにも中途半端で、才能も技術も何も無くて、だからこそ努力が必要なのに、それすらも気力が無くて、どうしようもない自分を自分で責めるが、それこそ時間の無駄で。私は一体何がしたかったのだろう、私の夢はいつから潰えたのだろう。先輩、教えて下さい、あの時のように、私を励まして下さい。


 夜も深まった頃、私の仕事は終わる。ドレスから私服に着替えた時のこの瞬間が、一番安心する。私が私でいられるような気がするから。ワンルームのちっぽけなアパートに帰る途中の、小さな公園。そこが私のオアシスだ。秋も深まり冬への支度を始めた木々たちが、一斉に色褪せた木の葉を散らせ、その木の葉が風に待って私の足元へ纏わりつく。私はまだいい方だ。帰る家があるのだから。それすらも無い子たちは、あの狭いハコの中で、ここは私だけの部屋だ、私の城だと思い込み、眠っている。

 ブランコに座り、自販機で買った缶珈琲をちびちび飲みながら、煙草に火を点ける。紫煙がゆらめく姿を見て、私はやっと一息つくのだ。ガサガサと足元の落ち葉で遊びながら、ネオンの消えた街並みを見上げる。

 この時期は一番嫌いだ。冬のような清々しさもなく、春のような侘しさもなく、夏のような高揚もない、秋が深まったこの時期は何もかも中途半端なんだ、私のように。紅葉も過ぎて茶色く濁った落葉たちは、風になびかれカサカサと音を立てる。ブランコを足でゆらゆらと揺らしながら、考える。このまま、ここにいていいのだろうかと。このまま、私を壊すような真似をしていていいのだろうかと。毎日のように考えるが、答えは一向に出てこない。

 ガサガサ、ガサガサ、落ち葉が揺れる。

 温くなった缶珈琲を一気に飲み干し、煙草を揉み消すと、アパートへ帰る為に立ち上がる。ふと、落ち葉が溢れた地面を見つめて、私は体を倒す。柔らかい落ち葉は私を受け止めきれず、地面へと叩き付けられて、思わず眉を顰めた。

「痛い……」

 あの頃は楽しかった、がむしゃらに舞台に立つ為に頑張ってた時期。今はどうだろう、「お客様」に奉仕をしてやる事をやって、こうして公園の片隅で横たわっている惨めな姿。こんな姿を誰かが見たらどう思うだろう、先輩が今の私を見たらなんて言うだろう。

 体を起こし、服に付いた落ち葉を払うと、今度こそアパートへ帰る為に足を動かす。明日も私には仕事があるのだ、こんな所で感傷的になっている暇は無い。何もかも足りない私が、今出来る最大限の事をしなければならない。もうやり遂げる事も、逃げる事も出来ない、私の人生はまったくどうして、ちっぽけな物なのだろうか。

 風が強くなった。コートの隙間を埋めるように身を縮こませ、私は公園を去って行く。いつか、私もあの落ち葉のように枯れゆく日が来るのだとしたら、私は一体何をするのだろう。

「いらっしゃいませ」

「また来て下さいね」

「ありがとうございました」

 ハコの中で私は笑う。




END

 
 
 

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