花咲き病
- 青央つかさ
- 2020年8月24日
- 読了時間: 7分
ある日、私は花を吐いた。
花咲き病が発見されたのは、ほんの半年前だった。とある田舎の女性が、目や口から花を咲かせた事から始まった。花咲き病は女性特有の病気で、何かしらの感情が昂った時や命の灯を落とす時に綺麗な花や花びらを咲かせる。遺伝子疾患だとか環境汚染の結果だとか、専門家は様々な憶測を飛ばしているが、詳細は分かっていない。
私が花を咲かせたのは1ヶ月前、仕事のストレスで体を壊し寝込んでいる時に、口からそれは綺麗なガーベラを吐き出した。きっと体が弱っていたせいで、発病したのだろうが、それから私の人生は変わった。泣いても怒っても笑っても花が咲き、花びらが散る、世間ではまだ花咲き病の患者も多くなく、奇異な目で見られる事が多い。そんな私にも助けになる友人はいるし、家族もいる、何も怖い事は無い筈だった。
「乾杯、お疲れ様」
私と今酒を交わしているのは湊《みなと》といって、私の仕事先の先輩であり、友人であり、そして私の好きな人。教育係として指導してくれた湊さんは私に凄くよくしてくれて、プライベートでもこうやって仕事終わりには飲みに行くし、休日も一緒に遊ぶ仲にもなった。今日もプロジェクトの成功を祝っての2人での乾杯をしようと、いつものバーに来たところだ。
「お前も成長したな、入社時はあんなに頼りないと思っていたのに」
マティーニを飲みながら湊さんが嬉し気に話しかける。
「そりゃ、最初の頃は仕事のストレスでしょっちゅう体壊してましたけど、これも湊さんのお陰です」
湊さんの言葉に照れたように笑い、私はお酒をちびちび飲む。
「はは、言うようになったじゃないか」
「本当に、湊さんには感謝してるんです。私が花咲き病になった時も会社に掛け合ってくれて、残れるようにしてくれたし、こうやって一緒にいてくれる。この病気の人間にとっては嬉しい事なんです」
しみじみ呟くと、湊さんは私の頭を撫でてくれた。
「そりゃ、可愛い後輩だし、大事な友人を病気ってだけで見放す訳ないだろう?」
ぶわっ、と感情が揺らいだ。これは嬉しさだろうか、少しの寂しさと悲しさも混ざっていたと思う、とにかく、私は目からトルコキキョウを咲かせた。
「あ、ごめんなさい」
咲いた花は綺麗に花びらを開かせると、ポトリ、テーブルに落ちた。慌ててそれを手に握ると相手の様子を伺う。
「どうした? 何かあったか?」
湊さんは心配そうに私の顔を覗き込む、なんて事ない場面で花を咲かせたら誰だって不審がるし、心配にもなるだろう。
「いえ、別になんでもないんです。大丈夫です、すみません」
私は謝るしか出来なかった。怖い事、それはこの人に嫌われる事、いつか去っていかれる事、それだけが私の恐怖。それ程焦がれてる相手を前に、私は感情を抑えられなくなる。
一人でいる時だってそうだ、彼を想って苦しんでいると口から花を咲かせる時もあるくらいだ。
「まだ仕事が辛いか?」
それでも心配してくる湊さんに、私はお酒をぐっと一気に飲み、首を横に振る。
「本当になんでもないんです、湊さんにあまり心配掛けたくないですし、仕事は今は順調なので大丈夫です」
「心配って……迷惑掛けてるとか、そんな事思ってるなら違うぞ? 俺は好きでお前と一緒にいるんだから、辛い時はいつでも頼ってきていいんだからな」
なんて嬉しい言葉だろう、感情を抑えようと思えば思う程、花びらがちらちらと舞う。
「あはは、なんか調子が悪いのかな、今日はもう帰ろうかな」
「そうか、そこまで送ってくよ」
「ありがとうございます」
マスターに支払いを済ますと、湊さんは私の背中に優しく手を添えてお店から出た。
日に日に、湊さんへの想いが強くなっていくのが分かる。それはとても恐ろしい事だ。もし私が告白でもして、振られたら? そう思うだけで心が苦しい。
「あとはタクシーで帰るので、今日はすみませんでした。また今度」
逃げるようにタクシーに乗り込むと自宅の場所を告げる。タクシーが出たあとも、湊さんはその場でずっと私を見送ってくれた。
こんな失態を犯しておいて、幻滅されたと思っていたのに、湊さんは次の日会社で普通に私に話し掛けてくれて、休日に映画館へ行こうと誘ってくれた。断る選択肢は元から無くて、一人勝手にデート気分で、帰宅してから休日に着ていく服を選んでいた。
折角の休日は生憎の雨で、それでもまぁ映画館だし問題は無いだろうと折り畳み傘を差して目的地へと向かった。
「お待たせしました」
「時間ピッタリだよ、さて、飲みものでも買おうか、今日のチケットはこれね」
「ありがとうございます、今お金渡しますね」
「いいよ、俺が誘ったんだし、遠慮すんなって」
「そんな、悪いですよ」
鞄から財布を出そうとゴゾゴゾしている私の手を制して、湊さんは笑顔を向けた。
「こういう時は、素直に受け取るもんだぞ」
「そうですか……じゃあ、ありがとうございます」
本当にこの人は優しい。今回は素直に受け取る事にして、二人で飲み物を買いに行く。
映画は邦画の恋愛ものだった。スクリーンの中では美しい愛が育まれていて、私は少し寂しさを覚えた。こんな恋を私は知らない、こんな愛を私は知らない。だって、私は映画の主人公でもないし、こんな意味の分からない病気も持っている。ラストスパートに行くにつれて私の感情が動き、ぱらぱらと花が落ちる。私もこの主人公のように幸せになれるなら、なんだってするのに。
「そんなに感動したのか」
映画が終わった後、湊さんがクスクスと笑い私の咲かせた花を手に劇場を出る。
「だって、こういう系に弱いんですよ、私」
私も自分の花を持ち慌てて告げる。
「いいと思うよ、感受性豊かで」
嬉しそうに告げる湊さんの奥で、見知らぬ人がこちらを見てヒソヒソと何かを囁いている。きっと私たちが花を持っているからだろう。こんな目で見られるのにも関わらず、湊さんは平然としている。
花を受付の人に渡すと、その人もこちらをちらっと見て無愛想にありがとうございました、と告げる。やはり、こういうのは慣れない。
映画館を出てもまだ雨は止んでおらず、私は傘を広げようとする。
「なぁ、もうちょっと一緒にいない?」
思わぬ言葉に驚いていると、湊さんは私の手を引いて自分の車へと連れて行く。
「み、湊さん」
なすが儘だった私が口を開くと、どうしたのと首を傾げる。
「あの、私……湊さんは私をどう思っているんですか?」
自分でも驚いた。こんな事を言うつもりは無かったのに。
「どうって、可愛い後輩で、大事な友人で……」
「違います。こうやって休日に誘ってくれる事も嬉しいし、一緒にいたいって言ってくれる事も嬉しいんです、でも、違うんです。私が求めているのは、求めているのは……」
湊さんの顔が困ったかのように歪んだ。言ってはいけない言葉だったのかもしれない。それでも私は止まらなかった。どういった感情でこんな私と一緒にいるのか、今日、今、確かめたかった。
「私だって、一緒にいたいんです。でもそれは、湊さんと同じ感覚でなのか、それを知りたいんです」
傘も差さず、雨に濡れたままの二人、私はいつの間にか泣いていて、左目から今度はバラを咲かせていた。
「湊さん、私、湊さんが好きです。とっても、とっても好きなんです」
花を咲かせてしまう程、貴方が好きなんです、言葉にならない声、しかしバラは咲き乱れ私の感情を代弁してくれる。
「貴方にとって、私はどんな存在ですか?」
涙と共に花が咲く。雨と共に花が散る。どんなバラよりも美しいバラだった。血のように真っ赤に染まったソレは、私の心の傷だ。私の感情だ。私のすべてだ。
はらりと落ちる花弁を湊さんはそっと拾い上げ、私をじっと見つめた。
「そうだね、君は誰よりも美しい。美しい花を咲かせる。それは俺の心をどんどん犯していくんだ。今も君の目から溢れている花を見ると、俺はもっと君を泣かせたいと思ってしまう。それがどういう感情なのか、どうしてこんなに心揺さぶられるのか、俺は知らない。ただひとつだけ、もっと、その花を俺の為に咲かせてくれないか」
花咲き病はなんて奇妙な病気なのだろう。奇異な目で見られるかと思えば、こんなにも人を惹き付けてしまうのだから。
私はぼろぼろと涙を流しながら花を吐き出した。
END
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