追及の死
- 青央つかさ
- 2020年10月22日
- 読了時間: 3分
これは私の死体だ。風呂場で手首を切って血を流しているのは私だ。白い薔薇が赤く染まり、青白い肌と死んだ目をしている私は、なんて綺麗なのだろうと、初めて自分を肯定できた。
死とは何か、昔から私は考えていた。生きてるという事は今なのだ。しかし死とは無限だ。あの世があるという人もいる。裁きを受けるという人もいる。ロボットのように壊れたら終わりという人もいる。様々な憶測が流れる死とは、私には魅力的に思えた。
私は死んだらどうなるだろう、誰か、家族は喜ぶのだろうか、友人は葬儀に来てくれるだろうか、私は、どんな死に方をすれば私を表現できるだろうか。
首吊りも考えた、入水も考えた、焼死も飛び込みもすべて考えた。それでも納得のいく死に方が分からなくて、私は途方に暮れていた。そんな時、花屋で見かけた真っ赤な薔薇が、道しるべとなってくれた。
あぁ、花に囲まれて死にたい。真っ赤な血で花を染めたい。その花に埋もれて眠りにつきたい。それはどんな死に方よりも私を表現してくれると思った。死体を見た人が私を美しいと思えるような、そんな気がしたのだ。
小さい頃、両親に言われた事がある。お前は気味が悪いと。虫を自分なりに解剖していた時、汚物を見るような目でハッキリと口にされた。夜中、私を手元に置きたくない、どうしてこんな子に育ってしまったのかと嘆く声も聞いた事がある。そんな私の周りに友人と呼べる人間は少なく、その少ない友人でさえも、私を見る目は温かくはなかった。
女のくせにおままごとに興味は無かったが、鬼ごっこだけは楽しくやっていた。それは単純に楽しいからではなく、自分が鬼として逃げ惑う人間を殺めている姿を想像するのが好きだったから。
随分と良くしてくれたのは、祖母くらいのものだった。祖母は少々痴呆が入っていたせいか、私の話をニコニコしながら聞いてくれて、死んだ虫を見せに行った時も「あら、死んでるわね」とそれだけ言ってまたニコニコしているような人だった。死後の世界について語っていた時も笑顔を絶やさず、面白いわねぇ、と呟くだけで、私はそんな祖母が好きだった。そんな祖母も痴呆が悪化して施設に入り、その直ぐ後に階段から落ちて呆気なく死んでしまった。祖母の死に立ち会った私は悲しいよりも先に、美しくない、とそう思ってしまった。
今の私はどうだろうか、手首から流れる血は白い薔薇を赤く染め、血の気が引き肌は青白く、唇は紫へと変化している。瞳は濁りまるで腐敗したかのような色をして、これこそが私の望んだ死だ、これこそが私だ、これこそが絶望だ。
私は私を愛せる。この私を愛せる。死にしか興味が無かった私が、初めて愛せた自分を今私は見下ろしているのだ。なんて素敵なのだろう。なんて素晴らしいのだろう。
死とはロボットのように意識が途切れるものでも無かった。天国も地獄も無かった。そう、あるのは私だけ、いるのは私だけ、私は私を見つめ続ける。見つめ続ける。見つめ続ける。そう、見つめ続け……
END
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