飽きる人
- 青央つかさ
- 2020年7月24日
- 読了時間: 11分
「今度は何の勉強?」
「ドッグトレーナー」
「デザイナーはもういいの?」
「うん」
雪見ちゃんは、少し変わった女の子です。
中学一年の時、同じクラスに雪見という面白い名前の子がいるなぁ、と思いました。そんな彼女と会話を交わす切っ掛けとなったのが、文化祭一週間前。
「実行委員を辞めたいって、どういう事だ! やる気がないなら、最初から立候補なんてするな!」
クラス中に響き渡る怒鳴り声、私も他の生徒も何事かと教壇へ視線を送る。
「やる気はありました。でも、今は別な事がしたいんです。今日、演劇部に入部届を出したので、そちらに力を入れたいと思っています」
背筋をピン、と伸ばし、担任を見据える姿はかっこいいのですが、「もう飽きた」という声色は抑えきれなかった様子でした。
「お前……俺をバカにしているのか! 学校行事をなんだと思っているんだ!」
「馬鹿にしていませんし、学校行事は全校生徒にとって大切なものです。なので代わりの人は私が見付けて引き継ぎます」
ハッキリと告げる彼女に、さすがの担任も肩を落とし、終いには「あと一週間だから、続けてくれないか」とすがる始末。他の生徒は冷やかし半分で見届けていましたが、頑なに拒む彼女に対して、徐々に苛立ちが募っていったようでした。
「雪見さんの代わり、私がします」
周りの空気に耐えられなくて、というのがその時の本音です。私は手を挙げて立ち上がっていました。
「雪見さんは思う存分、演劇に精を出して下さい」
笑顔で告げる私に、彼女も安心したように笑顔を向ける。
「ありがとう、助かる」
これが最初に交わした言葉。しかし彼女は文化祭当日には演劇部を辞め、弓道部に入部していた事を後から知りました。
中学二年に進級し、大半の友人とクラスが離れてしまいましたが、名簿に“雪見”という文字を見た時、なんだかワクワクしました。
「雪見さん、また同じクラスね」
「あぁ、去年はありがとう」
「ううん、平気。私、ああいうの得意だから」
「そっか」
一年生の時同じクラスだった人たちは、何故私が彼女に声を掛けるのか不思議だったのでしょう。会話している先から次々と視線が突き刺さります。
「今年の実行委員には立候補しないの?」
「んー、それよりも、来月は弓道部の大会だから、そっちの方が楽しみ」
「まだ続けてたの?」
「うん」
弓道部がすっかり気に入ったんだなぁと、その時は思っていましたが、大会が終わって直ぐ退部届を提出、のち、バレーボール部に入部。弓道の大会では、素晴らしい功績を遺したと聞きました。
熱しやすく冷めやすい、悪く言うと飽きっぽいという事が同時に分かりました。
クラスの人が彼女を妬む理由は飽きっぽいだけでなく、文武両道、才色兼備だからだと思います。何をやっても卒なくこなし、見た目もいいので他校からの告白も耳にします。それだけでは終わらず、彼女の伝説はまだまだあります。
「ねぇねぇ、雪見と仲いいんだよね?」
眉間に皺を寄せ、剣道部の子が話し掛けてきました。この頃彼女は剣道部へと入部していたようです。
「仲はいいけど、どうしたの?」
「雪見の家は見たことある?」
「ううん、無いけど……」
彼女の家に何かあったのだろうかと、私も眉間に皺を寄せ話の続きを待ちます。
「あの子って、ちょくちょく部活変えるじゃん? その度に何万も掛かる防具とか、部活用品とか、即行で買っちゃうんだよね。親の金かなぁってみんなで話してたの」
なんだそんな事かと思うと同時に、なんて間抜けな会話で盛り上がっているのだろうとも思いました。
「どうなんだろう。私もよく知らないの、ごめんね」
会話はそこで終わったのですが、後日、彼女の家が本当にお金持ちだと、クラスメイト全員が知る事となります。
それは、二年目の文化祭後の出来事でした。クラスで会費を集め、打ち上げ会が開かれたのですが、彼女は一万円札の束をそのまま幹事に渡し、こう言ったのです。
「会費、どれくらい掛かるか分からなかったの。これで足りる?」
その場にいた全員が唖然。もちろん、お金は必要な分だけ頂き、みんなで打ち上げを楽しんだのですが、飽きっぽい上に世間知らずだったとは思いもよりませんでした。
そんな彼女にも、春が訪れます。三年へ進級し、これから受験や行事に向けて、大いに楽しもうという時期。一つ下の後輩が彼女を廊下に呼び出しました。
「俺と付き合って下さい」
彼はバスケ部のエースで、中々イケメンだと、日頃から周りが騒いでいました。
「……いいですよ」
「本当ですが、ありがとうございます!」
正直、彼女の返答に私はショックを隠せませんでした。だって、絶対に断ると思っていたから。熱しやすく冷めやすい、熱くなれない物には手を出さない、そんな彼女が告白を受けるなんて、考えられなかった。
下校と共に恋人と手を繋ぎ、校門を潜る彼女の後ろ姿を見る度に、悔しくて、恋しくて、どうにかなりそうでした。けれど、私の苛々を解消してくれたのは、やはり彼女でした。
「別れた」
「え?」
「別れたの、バスケ部の人と」
一瞬、聞き間違いかと思いましたが、彼女は至って真面目な表情で告げます。
「でも、あんなに幸せそうだったじゃない」
「最初は、私も好きだったよ、こんなカッコイイ人が私を好きになってくれるんだって感動したし、毎日の帰り道も楽しかった。でも……」
「でも?」
「途中で冷めちゃうの。なんでこの人と一緒に歩いているんだろうって」
……彼女は彼女なりに悩んだのだと思います。少しでも喜んだ自分を恥じました。
「ねぇ、雪見。私と一緒にいても、飽きるの?」
飽きっぽい彼女が、人との付き合いすらも飽きてしまう彼女が、いつか私に対しても同じような感覚に陥るのだろうか、とても怖くなりました。もし、飽きたと言われたらどうしよう、もし、楽しくないと言われたらどうしよう。あのバスケ部の子と同様、私への気持ちが覚めてしまったら? 考えたらキリがありません。
「飽きない」
しかし、私の心境とは裏腹に、とてもハッキリ、澄んだ声。
「桜と一緒にいて、冷める事なんてないし、飽きる事もないよ。桜だけは、特別だから」
雪見は特別だと言ってくれた。なんでも出来る雪見と違い、どこにでもいるような平凡な私を、特別だと言ってくれた。それだけで愛おしさが溢れ出し、止まらないのです。
「どうしよう、私、嬉しいの」
「桜!?」
嬉しさのあまり涙が溢れ、生徒が騒ぐ教室の中にも関わらず、私はぼろぼろと泣いてしまいました。慌てた彼女はなんとか泣き止ませようとしてくれるのですが、中々涙が止まらず、その内、クラスメイトが怪訝な表情でこちらを見つめてきたので、今度は私が「なんでもない、大丈夫」と必死になっていました。
学力も平均を余裕で超える彼女は、当たり前のように名門高校へ進学を決めていたのですが、彼女の飽きっぽさと世間知らずさが、再び発揮される日が来ました。
「私、あの高校にはいかない」
「……え?」
何を言っているのか、最初は理解が出来ませんでした。
「えっと、高校、行かないの?」
「ううん、桜と同じ高校に行く」
誰もが羨む名門校へ入学出来るというのに、そこよりも遥にレベルの低い高校に入ろうとするなんて、周りから見たら正気の沙汰ではありません。
「また飽きちゃった?」
「この前、見学に行ってきたんだけど、全然面白そうじゃないの。あそこが面白くないのか、桜がいないから面白くないのか、分からないけど」
また、この人はサラリと嬉しい事を言ってくれる。私がいれば、彼女の人生が少しは楽しくなるのでしょうか。
高校の入学も無事に終え、同じクラスになれた私たちの高校生活は、順調にスタートしようとしていました。上手く行かなくなったのは、入学から僅か三日目。
中学まで一緒だった人たちとその友人たちは、彼女を非常に嫌い、陰口を叩くようになりました。一緒にいる私も同様かと思われましたが、その人たちから見たら、嫌々付き合わされてる可哀そうな人、というポジションらしいのです。それだけならまだしも、私一人でいるところを狙い、「あの子と関わらない方がいいよ」「ベッタリされて嫌じゃない?」等、言うようになりました。
「好きで一緒にいるの、ごめんなさい」
愛想笑いで誤魔化しても、彼女の悪口は減りません。直接悪口を聞き続けていた私は、心身ともに疲れ果て、授業中に倒れて保健室へ運ばれるまで追い詰められました。
様子を見に来た彼女は、あなたが大丈夫ですか? と聞きたくなる程、青白い顔をしていて、それでも優しく私の頭を撫でてくれました。
「無理したら駄目だよ」
「ごめんね、少し、疲れちゃったみたい」
撫でる手が心地よくて、そして心配されるのが少しだけ嬉しくて、自然と笑顔が零れる。
「もう少し寝てな」
「うん、ありがとう」
廊下の外は騒がしいのに、カーテンの中はゆっくりと時間が流れるようで、ずっとこのままでいられたらと思いながら、目を閉じました。
この一件だけで終わっていたのなら、どんなに良かっただろう、今でも思います。あれは、私にとって一番辛い出来事でした。
「知り合ってまだ日が浅いけど、良ければ付き合って下さい」
同学年の間では変人扱いされる彼女でしたが、学年が一つでも違うとこの通りです。今回の相手は茶道部の部長。長身で細身で、茶道をやっているだけあり、姿勢が良く礼儀正しく、おまけに顔もいいと、非の打ちどころがない人。茶道部に入った彼女を、一目見て気に入ったようでした。
中学の一件以来、すべての告白を断ってきた彼女なら、今回も勝手に安心していた私に、言葉の矢が鋭く胸に刺さりました。
「はい、よろしくお願いします」
「本当? 嬉しいな」
どうして? 何故? 私の問いは声にならず、告白を受けた彼女の背中を見つめるだけでした。
部長と付き合い始めてから、彼女と私は碌に会話もせず過ごしました。休憩時間も放課後も、部長の元へ向かう姿を眺めるだけで胸が痛く、それは恋人なのだから当たり前なのですが、だけど、いつか、いつか彼女は冷めるのだ、飽きるのだと、信じ続けていました。信じ続けて、願い続けて、部長が学校を卒業し、大学に進学した後も、二人は恋人同士のままでした。
二年に進級し、クラスも別になり、彼女との接点が無くなってしまった私の周りには、友人というものが集まりました。悪口の対象である彼女がいなくなった事により、私という人物と付き合いやすくなったのだと聞きました。多くの友人を持っていても、彼女がいなければ私は空っぽな人間なのです。放課後に遊んでいても、昼休みにお弁当を食べていても、休日に遊んでいても、隣にいるのが彼女でなければ意味なんて無いのです。
「雪見さん、最近彼氏と仲が良くないんだって」
悪口の時以上に、そろそろ疲れてきた頃でした。もう死んでもいいかなと、そんな事まで考えていた時です。昼休み、ぼおっと窓の外を眺めていた私に、クラスメイトの声が耳に入りました。
「彼氏って、茶道部だった人?」
「うん。なんか、この前二人が喧嘩してるの見たって、隣のクラスの子が言ってた」
「部長って喧嘩するイメージ無かったから、意外だね」
「もう別れるのも、時間の問題なんじゃない?」
早く別れてしまえばいい。そして、戻ってきてほしい。会話を聞きながら心の底から思いました。彼女がいなくなった心は、相当歪んていました。
数日後、荒んで、歪んで、どうしようもなくなった私の前に、彼女は苦笑いを浮かべながら現れました。
「先輩に、振られた」
誰かに振られる事もあるのか、久し振りの再会に戸惑いながら、頭の隅でそんな事を考えていました。
「私、駄目だった」
「駄目?」
「うん」
この時は、それ以上深い話はしてくれませんでした。けれど、私たちの関係が元に戻り、お互いの心が穏やかになった頃、彼女は切り出してきます。
三年の秋、文化祭の最中。体育館で出し物である映画を観ながら、彼女は私の手をそっと握りました。
「茶道部の部長の事、あの時はごめん」
手を握られるなんて思ってもみなく、謝罪の言葉を聞き逃すところでした。
「いいのに。私は、雪見ちゃんがいてくれれば、それでいいの」
男女の愛の囁きのようなセリフに、自分で顔が赤くなります。しかし彼女は柔らかな笑顔を向けて、当時の話を聞かせてくれました。
「先輩が好きだったのか、今では分からない。桜が倒れた時、私は一緒にいちゃいけないんだと思って、そしたら丁度先輩が告白してきて……先輩と付き合って桜と離れたら、桜が楽になるんじゃないかと思った。先輩と一緒にいてもつまらなくなって、でも、桜のところに戻れなくて……その内喧嘩が増えて、俺の事好きじゃないのに、どうして一緒にいるんだって怒られた」
こちらから掛ける言葉は、ありません。何を言えばいいのか分からなかったのです。
「先輩も傷付けて、桜も傷付けて、自分自身も辛くなって、どうしてこんな風になったのか考えていたら、先輩に振られた。振られて、気付いた」
そこで、一旦言葉が打ち切られました。続きを促すように彼女を見ると、真っ直ぐな瞳がそこにはありました。
「私は、桜が好き」
どう返事をしていいのか分かりません。こんなに、こんなに嬉しいなんて、自分でも知らなかったから。
「もう離れたくない。傍にいてほしい」
「……私も、離れたく、ない」
発した声は、涙声になっていました。涙を流し、みっともない姿を晒しながらも、手を握り返し、生徒が映画やお喋りに夢中になっている暗い体育館の中、私たちは初めてキスをしました。
私は大学へ、彼女は専門学校へ進学し、お互い実家を離れて同棲を始めました。飽きっぽいのは相変わらずで、私が大学一年生の間に、彼女は専門学校を中退しこの資格、あの資格、と新しい事に次々と手を出しています。私は親の仕送りが少なく、バイトで生活費を賄っていますが、彼女は働いている訳ではないので、すべての出費は親なのでしょう。そういった世間知らずなお嬢様も健在です。
しかし、この間、彼女のちょっとした凄いところを発見しました。あの飽きっぽい彼女が、実家の事業をずっと手伝っているというのです。それは飽きないで続けられるし、いつかは自分が継ぐのだと。
「飽きないけど、まだしたい事あるから、やりたい事やるの」
当然のように告げる姿は、もう見慣れた光景です。
「今度は何の勉強?」
「ドッグトレーナー」
「デザイナーはもういいの?」
「うん」
雪見ちゃんは、少し変わった女の子です。
そして、大切な大切な、恋人です。
END
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