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糸を絡めて

「欲情した事はある?」

 彼女は俺に問う。立っている彼女に仰向けになるよう指示してから、口を開く。

「無い」

「あら、あっさりしてるのね」

「片膝を立てて、手は地べたに付けて。掌は下に」

 彼女は黙って要望通りのポーズを取る。俺はレンズを覗き、その姿をカメラに収めていく。

「こんなにいい女が目の前にいて、欲情しないなんて、寂しい人ね」

 冗談なのか真面目なのか分からない、上を向いたまま無表情で彼女は言う。言い草にカチンときたが、目頭を押さえカメラを構えなおす。

「いい体だとは思うよ」

「女としては?」

「知らない」

「ふぅん」

 不満そうに口を尖らせるが、写真が撮れないからと止めさせる。

「次は座って。胡坐をかいて、首は横に向けて」

「体にしか興味がないのね」

「……そうだよ」

 言い方に語弊があるが、気にしないでおこう。

 煌々としたライトの明かりと、その真ん中に陣取る裸の女性という派手な光景と裏腹に、静かな部屋の中でシャッター音だけが響いている。

 彼女が足を目一杯開いたと思ったら、こちらに笑顔を向けたまま上体を倒し、両手を顎に乗せ肘を床に付ける。なんて柔らかい体だと思うと同時に、無断で何をしているんだろうと思って注意しようとしたが、これも悪くないとシャッターを切り続ける。

「今まで何人撮ってきたの?」

「さぁ、数えてないから」

「じゃあ、今まで何人抱いてきた?」

「抱いてない」

「ふぅん」

 やはり、彼女は不満そうに口を尖らせる。もう指摘するのも面倒で、そのままの表情を撮る。

「抱いた事もないのに、女が撮れるの?」

「セックスを知らなくても、写真は撮れる」

「言い切るのね」

 椅子を持ってくると、彼女の隣に置く。

「事実、俺はコレで金を稼いでいる。これに座って」

 今までのモデルの中でも、彼女はかなりのお喋りだ。一つのポーズを撮るだけで、どれだけの会話を交わしているだろう。大抵のモデルは俺が無口だと分かると、黙って仕事をこなしてくれたのに。

 しかし、彼女からの質問は気分が悪いわけではない。今までは家族の事、出身校、付き合っている女の有無など、不快になる問いばかりだった。それに比べたら全然いい。仕事に関する事ならなんだって答えられる。どんなにエグイ質問でも。

 ヌード写真は個展や写真集として世に送り出す。この世界ではそこそこ知られた写真家で、食うに困らないくらいは稼いでいる。そのお蔭か、モデルの方から撮ってほしいと依頼が来る時だってあるし、数は少ないが、男のヌードだって撮った事がある。

 そんな数多くの作品を手掛けていく中、欲情して手を出すなんて面倒な事はしたくない。俺は、このしなやかな体と、滑らかな肌が織り成す世界を覗きたいだけで、この世界に入ったのだから。欲情する暇があったら、一枚でも多くの写真を撮りたい。

「一目惚れだったのに、残念ね」

「お気の毒様」

 写真漬けで、髭の手入れもまともにしていない男に、どうやって一目惚れしたのだろう。

「ねぇ、この撮影が終わったら、試しに抱いてみてよ」

 椅子に座り両手をこちらへ伸ばしながら、彼女は言う。俺はその手を取らず、シャッターを切る。

「モデル代が高く付きそうだから、やめておく」

 金なんていくらでも払えるが、俺が欲しいのは女そのものじゃない。

 俺の返答の意図を読んだのだろう、黙り込んだ彼女は、それから大人しく写真を撮らせてくれた。

 無事撮影が終わり証明を消すと、部屋は真っ暗になる。手探りで部屋の電気を点けようとしたところで、彼女の腕が腰に回され、俺はため息を吐きながらそれを解こうとする。しかしそれは叶わない。

「このまま襲う気か?」

「貴方は、自分の裸を撮った事、ある?」

「無い」

 他人の体を撮るのがいいのであって、自分の体には興味がない。

「じゃあ、モデル代の代わりに、貴方の写真をちょうだい」

 本当に、よく喋るモデルだ。

「嫌だ」

 腰に回された腕に力が入る。

「……分かった。なら、せめて、私の記憶を刻ませて」

 腕が解かれ、背後に気配だけを感じる。何をするつもりなのだろうと呑気に考えていると、指が首筋を撫でた。上から下へ、下から上へ、何度かなぞったあと、綺麗に整えた爪を立て――

「っ!?」

 突然、首に鈍い痛みが走る。慌ててその場から離れ部屋の電気を点けると、赤み掛かった爪を見つめて微笑む彼女が目に入った。

「さようなら、もう二度と会わない写真家さん」

 呆然としている俺をよそに、クローゼットに入っていた服を身に纏うと、そのまま部屋から出て行った。

 撮影代を渡していない、あとで仲介者に連絡しなければ。そんな事を考えながら、部屋に立て掛けられていた鏡を見に行くと、首に真っ赤な傷が付いていた。どれ程の力を入れたのだろうと、彼女の行動を恐ろしく感じた。


 傷は深くなかったが、治りが遅く、傷痕は消えずに残ってしまった。

 鏡を見る度に「記憶を刻ませて」という言葉が甦る。彼女の願いは達成された。二度と会わないだろうと言ったが、いつか、どこかで再開する予感がしてならない。恐ろしさと同時に、また出会えるのなら、次はもっと奥深くまでカメラに収めたいという願望もある。

 あの日から、俺は彼女の張った糸に絡まっている。あとは、彼女が捕食するのを待つだけだ。笑みを浮かべて、赤み掛かった爪をゆっくり、ゆっくりと伸ばして……




END

 
 
 

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