糸を絡めて
- 青央つかさ
- 2020年7月24日
- 読了時間: 5分
「欲情した事はある?」
彼女は俺に問う。立っている彼女に仰向けになるよう指示してから、口を開く。
「無い」
「あら、あっさりしてるのね」
「片膝を立てて、手は地べたに付けて。掌は下に」
彼女は黙って要望通りのポーズを取る。俺はレンズを覗き、その姿をカメラに収めていく。
「こんなにいい女が目の前にいて、欲情しないなんて、寂しい人ね」
冗談なのか真面目なのか分からない、上を向いたまま無表情で彼女は言う。言い草にカチンときたが、目頭を押さえカメラを構えなおす。
「いい体だとは思うよ」
「女としては?」
「知らない」
「ふぅん」
不満そうに口を尖らせるが、写真が撮れないからと止めさせる。
「次は座って。胡坐をかいて、首は横に向けて」
「体にしか興味がないのね」
「……そうだよ」
言い方に語弊があるが、気にしないでおこう。
煌々としたライトの明かりと、その真ん中に陣取る裸の女性という派手な光景と裏腹に、静かな部屋の中でシャッター音だけが響いている。
彼女が足を目一杯開いたと思ったら、こちらに笑顔を向けたまま上体を倒し、両手を顎に乗せ肘を床に付ける。なんて柔らかい体だと思うと同時に、無断で何をしているんだろうと思って注意しようとしたが、これも悪くないとシャッターを切り続ける。
「今まで何人撮ってきたの?」
「さぁ、数えてないから」
「じゃあ、今まで何人抱いてきた?」
「抱いてない」
「ふぅん」
やはり、彼女は不満そうに口を尖らせる。もう指摘するのも面倒で、そのままの表情を撮る。
「抱いた事もないのに、女が撮れるの?」
「セックスを知らなくても、写真は撮れる」
「言い切るのね」
椅子を持ってくると、彼女の隣に置く。
「事実、俺はコレで金を稼いでいる。これに座って」
今までのモデルの中でも、彼女はかなりのお喋りだ。一つのポーズを撮るだけで、どれだけの会話を交わしているだろう。大抵のモデルは俺が無口だと分かると、黙って仕事をこなしてくれたのに。
しかし、彼女からの質問は気分が悪いわけではない。今までは家族の事、出身校、付き合っている女の有無など、不快になる問いばかりだった。それに比べたら全然いい。仕事に関する事ならなんだって答えられる。どんなにエグイ質問でも。
ヌード写真は個展や写真集として世に送り出す。この世界ではそこそこ知られた写真家で、食うに困らないくらいは稼いでいる。そのお蔭か、モデルの方から撮ってほしいと依頼が来る時だってあるし、数は少ないが、男のヌードだって撮った事がある。
そんな数多くの作品を手掛けていく中、欲情して手を出すなんて面倒な事はしたくない。俺は、このしなやかな体と、滑らかな肌が織り成す世界を覗きたいだけで、この世界に入ったのだから。欲情する暇があったら、一枚でも多くの写真を撮りたい。
「一目惚れだったのに、残念ね」
「お気の毒様」
写真漬けで、髭の手入れもまともにしていない男に、どうやって一目惚れしたのだろう。
「ねぇ、この撮影が終わったら、試しに抱いてみてよ」
椅子に座り両手をこちらへ伸ばしながら、彼女は言う。俺はその手を取らず、シャッターを切る。
「モデル代が高く付きそうだから、やめておく」
金なんていくらでも払えるが、俺が欲しいのは女そのものじゃない。
俺の返答の意図を読んだのだろう、黙り込んだ彼女は、それから大人しく写真を撮らせてくれた。
無事撮影が終わり証明を消すと、部屋は真っ暗になる。手探りで部屋の電気を点けようとしたところで、彼女の腕が腰に回され、俺はため息を吐きながらそれを解こうとする。しかしそれは叶わない。
「このまま襲う気か?」
「貴方は、自分の裸を撮った事、ある?」
「無い」
他人の体を撮るのがいいのであって、自分の体には興味がない。
「じゃあ、モデル代の代わりに、貴方の写真をちょうだい」
本当に、よく喋るモデルだ。
「嫌だ」
腰に回された腕に力が入る。
「……分かった。なら、せめて、私の記憶を刻ませて」
腕が解かれ、背後に気配だけを感じる。何をするつもりなのだろうと呑気に考えていると、指が首筋を撫でた。上から下へ、下から上へ、何度かなぞったあと、綺麗に整えた爪を立て――
「っ!?」
突然、首に鈍い痛みが走る。慌ててその場から離れ部屋の電気を点けると、赤み掛かった爪を見つめて微笑む彼女が目に入った。
「さようなら、もう二度と会わない写真家さん」
呆然としている俺をよそに、クローゼットに入っていた服を身に纏うと、そのまま部屋から出て行った。
撮影代を渡していない、あとで仲介者に連絡しなければ。そんな事を考えながら、部屋に立て掛けられていた鏡を見に行くと、首に真っ赤な傷が付いていた。どれ程の力を入れたのだろうと、彼女の行動を恐ろしく感じた。
傷は深くなかったが、治りが遅く、傷痕は消えずに残ってしまった。
鏡を見る度に「記憶を刻ませて」という言葉が甦る。彼女の願いは達成された。二度と会わないだろうと言ったが、いつか、どこかで再開する予感がしてならない。恐ろしさと同時に、また出会えるのなら、次はもっと奥深くまでカメラに収めたいという願望もある。
あの日から、俺は彼女の張った糸に絡まっている。あとは、彼女が捕食するのを待つだけだ。笑みを浮かべて、赤み掛かった爪をゆっくり、ゆっくりと伸ばして……
END
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